オヤコラ    *genkiblog*

ブログ創業2003年4月

暖かくなってきたので、お洋服の入れ替えを。

 

屋根裏の整理がてら、仕舞っていた夏物を出していると、ここ数年着ていなかった物が出てきた。

 

ジョンブルの赤シャツ。いつ買ったかも覚えていない。が今ちょうど良い。

長シャツ一枚で過ごせる。細番手の綿糸できっちりと打ち込まれた生地は、ハリとシナヤカサがベストマッチングしていて、スッキ

リと着れるのです。

DDのポロ。襟の細さが丁度良く、当時は良く着ていたのですけど、最近は箪笥に眠っていました。

確かDDのポロシャツの最初の作品だったと思います。当時は大人サイズは無くて、160僖汽ぅ困世辰燭里如∧△僚个織錺織シにはピチピチでしたが、鹿の子生地をグイグイ伸ばして着ていた記憶が。今着ても、いい感じです。

ワークワークのタオル生地のラガー。襟も含めて全編タオル生地でして、コレは横伸びしてしまうのですけど、着ココチの良さでついついヘビーに着てしまいます。お洋服整理と同時に要らない物をかなり捨てましたが、これらは捨てられません。

DDのリバーシブルハイネック。ハイネックと思えない伸び方ですけど、ガーゼ素材のリバーシブルは仕方ありません。

着ココチが良すぎて。

昔の45rpmの金太郎Tシャツ。インディコでは有りませんが、紺の深さが、45ならではです。

生地はしっかり目で少し熱いのですけど、襟元の広さ(和服で言う、エモンを入れるorエモンを抜く)、襟元の見せ方が良い。

たぶんオールドスタイルTシャツで60年代くらいなんでしょうか。詳しくは判りませんけど。DDやワークワーク、初期ストアーズ達も目指していたシルエット。襟広めの袖短めスタイルは、今どきではお見かけしませんけど。イイッスわ。

 

 

 

五月のいい天気の日、奥様のお供で、また天王寺に行きました。

市立阿倍野美術館の地下で絵画展覧会が催しされていて、それが奥様の目的でしたけど、ワタクシには絵画の興味はまったくなくて、

 

帰りに「天しば」で酒を飲んで寝っころがるのが楽しみでお付き合いした訳でして。


家からおにぎり風のご飯を持参し、天しば内のコンビニで角ハイボールと唐揚げとコロッケを買って木陰で休日のランチ。

 

と言っても、朝早めに出たので、11時前ごろでしたか。人もまばらでゆっくりと横になり、少しうとうと。

 

気が付くと、子供連れの家族たちで芝生もおおにぎわいになってました。

 

ゴールデンウイークの最終日。ササヤカで平和な時を過ごせましたわ。

ワタクシ、小学生の頃には確か、地球の人口は25億人位と記憶していますが、今あらためて調べると73億人位らしい。ブルゾンちえみの「男の数は35億」に引っかかった訳でして。

 

1960年代から50年間で、おおむね3倍弱、人口が増えているわけですわ。

 

「まっッ、その〜〜」の田中角栄の頃は「一億二千万の国民のみなさまの・・・・・」でして、

 

1970年代初期の日本の人口は、約1億2000万人。今、調べてると、40年後の2015年で1億2700万人でした。

 

日本はともかく世界人口がそんなに増えてるとはあまり考えなかったが、諍いや、争いごとが増えるはずですわ。

 

サル山に猿が多くなると喧嘩が絶えないらしいし。

 

※話変わりますが、先日、BSの「あさま山荘事件の真相・・・」的な2時間番組を観ていて、

 

そもそも、1960年後半〜1970前半の全学連、全共闘、から連合赤軍に至る学生?運動の主役は、

 

◆ベビーブーマー、人口多過ぎ世代。過密世代です。聞いた話ですが、小学校も生徒が多すぎて2部制に、校舎が足りなくて運動場でも机を並べたらしい。みんなが過密な中でスクラム組んで小、中、高と進むから、受験をはじめあらゆるところで競争、社会も高度成長で競争、熱い過激な人口構成層ですわ。漢字で書くと「団塊世代」。

 

◆世界的にスチューデントパワーはトレンドだったみたいです。ベトナム戦争でアメリカの各大学、パリ大学、中国では文化大革命もこのころですね。

日本人って海外のトレンド(潮流)に弱いから、「俺もやったるで〜〜〜」って感じですか?それとも過密よる自然発火ですか。

熱い世代に少しでも火がつくと燃え広がるのは、早い、早い。

 

◆学生運動自体、そもそも「反戦、平和」「反権力、腐敗打倒」がスローガンだったらしいのに、一握りの一派とは言え、「内ゲバ」「リンチ殺人」「人質立てこもり」「銀行、警察、銃砲店等の襲撃、略奪」と初心と真逆の行為に走ったのでしょうか。

観ていて、なんか、江戸末期、討幕の志士の群像と重なる所を感じた。過激になりやすいのですね。日本って、昔から。・・日本だけではないですけど。

 

◆番組では、永田洋子って異常者では無く「ふつーのおばはん」って弁護人だった人の言葉が印象的でした。弁護人なんでそんなムチャクチャこき下ろさないし、人権派なんで、少しは擁護しているのでしょうけど。「支離滅裂、頼りない指導者、感情的で、独善的、ひとの話を聞かない」ってところは、大阪のフツーのおばはんと共通するところが有ります。

◆「ふつーのおばはん」には説得力がありました。チュウのは、アイヒマン裁判でハンナ・アーレントが(の映画の中で)アイヒマンを「極悪人とか悪魔のような人間ではなく、思考力、想像力の無い人で、言われた命令を実直に実行する小役人、むしろ普通によくいる人・・・みたいな事を言っていた。

永田洋子の弁護人の御見立てと、ハンナ・アーレントのアイヒマンに対するお見立てが重なるように思えたのです。

「足元のすぐそこに転がっている悪」「いつでもどこでも、個性の振幅はあるとしても、フツーの変な人に起こりうる悪」

と言う事ですかね。

◆結論でもないですが、永田洋子を駆り立てたものは、いつ寝首をかかれるかもしれない「恐怖感」。アイヒマンを駆り立てたのも命令に背けばどうなるか解らない「恐怖感」・・・でしょうか。

 

-----オー恐わ、お〜〜〜コワ。

4月16日はまだ蕾でしたが、20日前後から咲きはじめ、今では

こんな感じに、満開です。

最初はクルッと包みこんでましたが、

今日は、こんなんです。

今年は、気のせいか、葉が大きい

同時期に、玄関先の木香薔薇も満開です。

見事な満開も、もちろん永遠では無く、陰りはじめほころび、萎れる。

 

花が終わると、葉が茂り、枝を伸ばす。夏の太陽と、大地のの水分、養分を、吸引し薔薇はどの瞬間も営み続けている。

 

4月16日、本日は、キリスト教的には復活祭。ハッピーイースターです。

復活祭は宗派、国、地域で呼び方も日程も違うらしいのですけど、おおむね、皆様それぞれこの頃に執り行っているみたいです。

エジプトではキリスト教会でテロがあり、スペインでは騒動が有り死者を出している。

人間キリストが処刑されて3日後に生き返ったらしい。考えにくい現象ですが、世界の多くの信者たちは復活祭を執り行っている。

以前行った教会の牧師は、「キリストは滅んでいない。神は居りますよっていう象徴として」・・・と説教していたが。そんなもんでしょうね。高野山では空海は生きていて、毎朝ご飯を運んでいるらしいし。生きてもらわないと、どこかに居てもらわないと都合が悪いし・・・・・。

そんな事はさて置き、庭のモッコウバラ(木香薔薇も花芽が膨らみだしました。

モッコウバラの花数は大変多くて、すでに黄色い花が弾けだした枝もちらほらと。

よく見ると、奥の方では開花していました。

世界のキリスト者たちは、ハッピーイースターを祝うが、ワタクシは毎年この時期やってくる

気候と植物の営みを祝いたくなる。

4月16日、晴天。

花は咲いた後より、咲く前がドキドキする。

旅行も行く前の方がわくわくする。似ている。

桜は、花自体よりも、咲くようになった気候を楽しめる。寒い冬が少し緩み始めた事が

ウレシく感じるのです。

 

このところの、外気温と日差しに後押しされて、庭のハナミズキも、咲きそうな雰囲気です。

花芽が膨らみ始めました。

 

花芽一つ一つにも個性があるのか、咲きはじめた花もあります。

花を支えるように、葉も伸びてきています。

全体的にはコンナ感じ。二月の初めころ、葉が多くなり成りすぎないように、

葉の小枝を中心に剪定したので、スッキリと見えますが、夏になり葉が伸びきると

葉が重なり、日射が行き届かない葉が出来る。

ハナミズキの根本には山ツツジの小さな植栽がある。

これも5月半ばには、赤い花で覆われます。

今週後半には、ハナミズキのピンクの可憐な花が開く。

 

一心寺の帰り道、最近行っていない天王寺公園を通って駅へと向かった。

茶臼山から和気橋という橋を渡ると慶沢園の裏手になり、迂回して市立美術館を右に観ながら

駅に向かうと、天王寺公園の入り口付近を通る。

和気橋は最近改修したのか、塗りなおしただけなのか、朱赤とパステルグリーンが初春の日差しに映える。

 

以前、と言っても、20年、30年以前ですが、天王寺公園のこの辺り、入って直ぐの辺りは、

あまり行きたくないエリアでして、浮浪者、オコモさん、酔っぱらい、散乱したごみに

路上カラオケの響きがうずまき、「スラム」大阪のディープなエリアでした。

が、「てんしば」っていう再開発事業が施され、大阪一般ピープルの「憩い」場に様変わりしていた。

 

いつまで維持できるのでしょうか?なんせ「大阪」なんで。

直ぐ東側、上町台地の坂を下ると、大阪の「新世界」が隣接している。観えている。

 

明治時代に出来た時は、明るい未来を示すテーマパークであり、まさしく「新世界」だったと思うのですけど・・・・

 

3月の20日頃、お彼岸と言う事で、天王寺の一心寺に行きました。

休日は家に引きこもっているワタクシを気つかってか、奥様のお誘いで、お供しました。

晴天に恵まれ久しぶりの一心寺でした。

一心寺には、親戚の骨を数人分収めています。

一心寺のエライ人は、建築に造詣が深いと伝え聞きしていたし、その新しい建造物を観るのも楽しみに一つ。

阿吽像には、毎回、観入るものが有ります。

本堂の手前の雨水溜、雨水桝(うすいます)は重たそうな石材ですが、それを支えている?

踏みつけにされている天邪鬼(あまのじゃく)が眼に付きました。

ケッコウ迫力あるお顔ですが哀しさもあり、姿全体からは、滑稽さカワイラシさも感じてしまいます。

 

大阪の阿倍野、天王寺、上町台地の空は澄み渡ってました。

 

いそがしい、しんどい、心身ともに重たい。春先はいつも程度の差はあるが、こんな感じになる。

 

一月、二月、三月とお仕事もメジロ押しになる。

 

寒さと乾燥、アレルギー性鼻炎、花粉症で、喉、鼻に症状が出る。かたのコリも持続している。

 

子供たちも進学卒業、就職と変化が押し寄せる。そのたびに現金が必要になる。埃はほっといても溜まるが、金は溜まりにくい。

 

今回は奥様も新職場や学校で変化があり、ストレスが家で発散される。後一年大学に通うそうだ。PC部屋は占領されている。

 

先日、次女は留学先から帰って来た。が、また松山に行き、最低一年を過ごす。末っ娘は岡山で就職が決まっている。少なくともしばらくは帰ってこない。

 

長女は近い奈良から出てこない。

 

いえる事は、明らかに、加齢による劣化が進行している。経年劣化は避けられない。

 

今の、希望は、冬芽が膨らんで早く、花水木のピンクの花が咲くのを待っている。今年も剪定はしたが、枝振りがイビツになっている。咲き切った後に、強剪定して、木姿を整えたい。

咲くころは、長袖シャツ一枚で過ごせる。早くそうなりたい。

 

 

北堀江の約10年〜20年の変化ブリは先日3/5の当記事で実感したところですけど、高田か?たかだか20年くらいです。

 

それ以前は、ほとんど足を踏み入れない普通の家具、木材関連の店や、職人の町だったと記憶しています。

(ショップが立ち並ぶ前は、料亭がちらほらあり、それも無くなった頃には、ミナミやキタにご出勤するお姉さまのマンションが並んでいましたっけ)

 

昔、南炭屋町として、表具店などが並ぶひっそりとした街がいわゆる「アメ村」になったのは、40年位以前でしたでしょうか。

 

そもそも、堀江って地名も、船場って地名も、海や河にちなんでいますよね。難「波」、「波」よけ、「津」もり、ワタクシの住んでいた、住之「江」・・・・・など、大阪市の西側には、海や河関連の地名が多い事に気が付きます。

 

そこで「堀江」って、どんなとこだったのかって

ネットで見つけた古代の地図です。高津の宮があるので、おそらく、少なくとも仁徳朝時代の西暦300年代後半と推定されます。

約1700年前。

 

地図の右端中央部に堀江が有ります。ホボ現在の堀江ですけど、その西側は海(浅瀬)になっている。

現在のその西側にも土地が続き、埋め立てられたか、砂州が広がったのか?

 

ワタクシの住んでいた、住之江の西側は江戸後期に埋め立てられた土地で、土地にまつわる歴史は薄い。

 

大阪の古代の地図は、海進、海退を繰り返していたものの、おおむね海に浸かっていて、土地は上町台地だけだと、多くの資料は語ってます。(その頃、生きてなかったので、「知らんけどナ〜」)

 

堀江を歩いていて、そんな事が、よぎってしまいました。ここ数年の変化なんて・・・・・

 

チッ、チッポケな事 サ〜〜〜〜!(♪長い人生さえ星のまたたき・・・サッ)