北堀江の約10年〜20年の変化ブリは先日3/5の当記事で実感したところですけど、高田か?たかだか20年くらいです。
それ以前は、ほとんど足を踏み入れない普通の家具、木材関連の店や、職人の町だったと記憶しています。
(ショップが立ち並ぶ前は、料亭がちらほらあり、それも無くなった頃には、ミナミやキタにご出勤するお姉さまのマンションが並んでいましたっけ)
昔、南炭屋町として、表具店などが並ぶひっそりとした街がいわゆる「アメ村」になったのは、40年位以前でしたでしょうか。
そもそも、堀江って地名も、船場って地名も、海や河にちなんでいますよね。難「波」、「波」よけ、「津」もり、ワタクシの住んでいた、住之「江」・・・・・など、大阪市の西側には、海や河関連の地名が多い事に気が付きます。
そこで「堀江」って、どんなとこだったのかって
ネットで見つけた古代の地図です。高津の宮があるので、おそらく、少なくとも仁徳朝時代の西暦300年代後半と推定されます。
約1700年前。
地図の右端中央部に堀江が有ります。ホボ現在の堀江ですけど、その西側は海(浅瀬)になっている。
現在のその西側にも土地が続き、埋め立てられたか、砂州が広がったのか?
ワタクシの住んでいた、住之江の西側は江戸後期に埋め立てられた土地で、土地にまつわる歴史は薄い。
大阪の古代の地図は、海進、海退を繰り返していたものの、おおむね海に浸かっていて、土地は上町台地だけだと、多くの資料は語ってます。(その頃、生きてなかったので、「知らんけどナ〜」)
堀江を歩いていて、そんな事が、よぎってしまいました。ここ数年の変化なんて・・・・・
チッ、チッポケな事 サ〜〜〜〜!(♪長い人生さえ星のまたたき・・・サッ)
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