オヤコラ    *genkiblog*

ブログ創業2003年4月
良いじゃあーりませんか、ぶら下がり世代。

だいたい、ハードにガンガンやる世代って、生産力(経済力)はあるかも知れんが、きついです。歪な(いびつな)行為が目につく。

ガンガンの後は、ソフトにならんと、歪さが緩和しない。

「緊張と緩和」は笑いの原則ですけど、人間世界の世代間のうねりにも、ハードの後には、ソフトが有って、バランスが平衡がとれるように思えるのですけど。

ジャズのライブに限らず、コンサートでは、シャウトするようなハードな曲、思いのたけをブチかますようなプログレッシブなプレイの後には、(スローな)バラードが。

アバンギャルドとバラード、スローとアップテンポ、緊張と緩和、シャウト唱法と甘いささやきクルーナー唱法・・・・・

ハードが良い訳でもなく、ソフト一辺倒でもなく、交互にしなやかに入れ替わり、繰り返すのが、音楽でも、経済社会でも、お笑いでも、今までの法則のような気がしてきました。と言う事で・・・・・・

今日の所は、これくらいにしといたります。


 
遅ればせながら、先日、ビル・エバンスの「The Solo Sessions, Vol. 2 - Bill Evans 」(1963収録)を。何気にユーチューブで聴き、オッタマげました。

ビル・エバンスは数十枚のアルバムをリリースしているとのこですが、ワタクシのような、浅めのミーハー的bジャズファンは、ビルのユーメーどころしか押さえていませんでした。おもにトリオ作品ですねんけど、食事中にユーチューブで聴いていたら、箸が止まりました。

ビルでのピアノソロのイメージが無い事自体がお恥ずかしいかぎりです、なんですけど。

ビルの言葉が、明確で的確にピアノの音で語られ、しゃべられ、歌われ心情を全て吐き出されているように感じます。

脳裏には、キース・ジャレットのソロコンサートが浮かびましたが、キースジャレットのケルンコンサートは1974年でして、ビルエバンスは、そのずーっと前にキースの仕事を片付けていた。キースは後出しじゃんけんなんでしょーかね。

モチロン、ビルとキースの語り口は違うし、心情も違うし、くせ、個性も違うのですけど。キースのねちっこさはそれはそれでいいのですが。疲れますけど。

ビル・エバンスの偉大さが、また見つかりました。
 記憶を失くした殺人犯
 シーズン 3 エピソード 19 (43:56)

HLULを観ていると、時々、グッと来る言葉が引用される。
作品では、最後のシーンで、捜査官リードが被害者の父親に娘の遺品の
時計を返しにくる。そのときのやり取りでこの詩をエンディングに使っている。
 「草原
の輝き
ウイリアム・ワーズワース
翻訳:タウンズマン (2008-05-18)」

誰も取り戻せはしない
草原が、輝いていたあの頃を
花が満開のあの頃を
でも嘆いたりしない
それより強さを見つけよう、後に残ったものの中にある力強さを

ドラマのストーリーを絡めてワタクシの解釈をすると

------娘の存在は草原の輝きであり、花のようであった。が、娘の命は取り戻せはしない。
でも、死んだ事を嘆き悲しんでばかりしていたり、犯人を殺す事ばかり考えていても父親は前に進めない。
娘も、父親が悲嘆に暮れたり、犯人殺しで犯罪者になる事を望んでいない。
それより後の残された者の(草の根、花の茎)の生命力、その中にある力強さを見つけよう。

これは、父親に対する、リード捜査官のせめてもの慰めの言葉であり、この詩の朗読でエピソードは終わっている。

クリミナルマインドはかなり残虐なシーンもあり少しばかり目を防ぎたくなることもあるが、冒頭に詩人や哲学者、小説家などの言葉を引用提示し、そのエピソードのテーマを暗示している。

言うたら、かなり引き締まったエー感じの格調高い作品なんです。



 

「愛されることより愛することを求める心をお与えください

貧困と飢えのうちに生きて死ぬ世界中の仲間のために、主よ、仕えることのできる人にならせてください

私たちの手を通して、今日この人々に日々のパンを与えてください。

私たちの理解を通して愛を、平和と喜びを与えてください

主よ、あなたの平和を人々にもたらす道具として私をお使いください

憎しみのあるところには愛を

不当な扱いのあるところには許しを

分裂のあるところには一致を

疑惑のあるところには信仰を

誤っているところには真理を

絶望のあるところには希望を

暗闇には光を

悲しみのあるところには喜びをもっていくことができますように

慰められることを求めるよりは慰めることを

理解されるよりは理解することを

愛されることよりは愛することを

求める心をお与えください

わたしたちは自分を忘れ去ることによって自分を見出し

許すことによって許され

死ぬことによって永遠の命をいただくのですから」

・・・・・・調べてみると、後で判ったことですが、これはマザーテレサの講演の一節です。(もともとカトリックの伝統的なお祈りのひとつらしいですが。)

アメリカテレビ番組「メンタリスト」の葬儀のワンシーンで神父が力強くお祈りをしていた言葉(上記太文字部分)をどこかで聞いたことがあり、前後の言葉が思い出せないので、しらべてみました。

「メンタリスト」の魅力のひとつは、作者の人間観。作品の所々にふと出てきます。huluでは4月30日で配信終了するらしいけど。早くシーズン3以降が観たい。


★「ハロルドとモード」の続き・・・・

見渡す限り墓地が広がり、(多分)カモミール?の花が一面に広がるシーンで・・・・・

モード「わたしはひまわりが好き、背が高くて、いつも太陽に向かって真っ直ぐ伸びていく、あなたはどの花が好き?」

ハロルド「(目の前のカモミールを指して)この花が好き。みんなと同じだから」

モード「他人と同じように扱われても何とも思わない人が不幸をもたらすのよ。
     カモミールをよく見て、一つ一つが全て違う。花びらの長さ、形、大きさ、        花の無いのもあるし、茎の長さ伸び方、向いてる方向・・・・・・・」

モードは、生きることに迷っているハロルドに対して、人は同じように見えても個性が有り全て違う。少しばかり人と違っても、自信を持って生きなさい。・・・・と言っているように感じた。

「ハロルドとモード」まだ、引きずってくれる。脳裡から離れがたい。

★昨日、また映画館で映画をみた。
クリント・イーストウッド「人生の特等席」

内容、ストーリーは調べるなり、観てもらうとして、

大リーグのスカウトマンである父親ガス(クリント・イーストウッド)は、女性弁護士として更なるキャリアを積もうとしている娘に言った。

「こんな、田舎から田舎に遠征の旅ばかりしている三等席の人生を、おまえにはさせたく無かった。(だから、おまえを親戚に預けたり、寄宿舎のある学校に行かせ、手放した。)」

娘は「わたしが小さい頃、パパに付いて旅から旅のスカウト稼業を共にして、朝目覚めた時から試合が終わり寝る時まで野球に浸る生活の中で、パパの隣で、野球を見ていた席が、わたしの特等席だったわ。」

----ココがこの映画のサビと感じた。-------


「弁護士になったのは、そうする事でパパが喜ぶと思ったからよ・・・・・」

と言うセリフもあった。(ガスの奥さんは娘が6歳の時病気?で亡くなっている。)

★ガスは過酷な生活を娘にはさせたく無かった。

娘は、過酷であろうが、誇りを持ってスカウトをしているガスに敬意と憧れを持っていた。また娘は、ストーリーの中で、弁護士世界の汚さにきずき、逆に久し振りに戻ったスカウト業の熱さに気ずく。

★----テーマは、良い人生って、仕事の職種では無く、内容でもなく、稼ぐ金額でもなく、好きなことを、自信を持って、誇りを持って、誠実に出来る、打ち込める事なんですよ-----って言ってるみたいに感じたけど。

ストーリーとしては、病気、友情、愛情、ゴマすり、冷酷さ、・・・・・などなどが絡み合い、織り成し、なんか良いハーモニーを聴いた様な重厚さ、暖かさを感じる、良い映画でした。

★ソレより、ワタクシの、映画の好みの変調は何処から?どうしたの?
ハクション、アクション、サスペンスにスパイ物・・・・・ばかりが好みだったのに、
このような、癒し系?選択してしまうのは?????でもまた探して観てみたい。





昨日の浅田真央の成績はいま一つだったが、見ている限りでは、他の上位演技者とは違い、優雅さ、優美さを感じる。

フィギュア界のトレンドとしては、大人っぽさとか、艶美さとか、力強さが求められているような感じで、その線に乗っ取ってトレンドを求め、点数を稼ぐのも競技としては、必要なのかもしれないが、その人の持ち味とか、やりたい事を無視してトレンドに走るのは、感心しない。

その点、浅田は、以前から持っている優美、優雅、ロマン主義とか、その点の軸足はしっかりしているように思う。

だから、順位以上に感動を与えてくれる。

場内では、地元ロシア選手以外では一番沸いていたように感じた。

浅田は、浅田を貫いて欲しい。記録より記憶に残る選手である。オクサナ・バイウルやカタリナ・ビットのように。



ただ単に好みなのかもしれませんが、このときのオクサナ・バイウルがワタクシのフィギュアスケートの基準ですネン。

いそがしくも無いのに、バタバタ感があり、落ち着けるなぁ、ってのが無い。先月は、九州、京都、東京と、休みがその分つぶれた事もあるし、休日に、ボーッとし足りてない。

本日も、忙中閑ありって感じで、ギャオの映画観てたら、お笑いコーナーで、「見つけてしまいました!」

ハマカーン------漫才コンビで、ワタクシ的には、初めての出会いですが、ムチャクチャおもろい。
調べてみると、10年くらいやってるし、テレビにも出ているみたいですが、見たこと無かったです。

一気に、録画を10個くらい見ましたが、おもろい。

特に、サラリーマン風の衣装のハマカーンが最高。



このスタイルの前は、カジュアルな服装で、内容も、オモロさのなかに、特徴が無くて、他のコンビの中に埋もれてしまいそうな危惧を感じてしまうのですが、

この、サラリーマン風になると、「下衆の極み」とか「鬼畜の所業」とか「人にあらず」とかのギャグの決め台詞が、効いてくる。

ここ数年の中での、一番の見っけモンです。10年以上まえの、「ハウス松本」以来かな。
今回のオリンピッック女子フィギュアは、ワタクシの予想をくつがえして、浅田真央の演技は良かったと思うンです。

他のウインタースポーツも含めて、大枠での構図は、アメリカ+カナダの「北米」と、ロシア+ヨーロッパの「ロシア連合」の戦いで、「北米」の勢いが勝ってたみたいな感じをお持ちました。

フィギュアでも、ロシアが長年金メダル独占していたのが、崩されツツあるような状況らしいし、女子フィギュアについても、

「キム・ヨナ」と「浅田真央」の対決は、「北米」と「ロシア」の対決のような感じで、演技者自身は「アジアの女の子」ですが、バックにいる、プロデュースしているのは、「北米」と「ロシア」でして、特に象徴的に感じたのが、演技のバック音楽でして。

キムの「ガーシュイン」対浅田の「ショスターコーヴィッチ」。

ガーシュインは、この前、小曽根さんと大阪フィルで聴いた「アメリカのガーシュイン」であり、カタヤ、浅田真央さんは「ロシアのショスターコーヴィッチ」であり。

今回の、大会は、カナダ開催もあり、北米有利な印象で、そこら辺をキャッチして、北米よりの演目をチョイスしたのは、キム・ヨナ側の戦略の勝利かなって思ってしまいます。

そこで、あえてか、知りませんが、浅田側は、ロシア+ヨーロッパの戦略に乗ったのか、乗らされたのか。

でも、チョイスは間違っていないと思います。

ワタクシの好みでもありますが、ロシア+ヨーロッパ連合の持っている、エレガンス、ロマン主義、しなやかさは、北米連合の躍動感、自由さよりも、感じるものがあります。

これまた、ワタクシの好みでありますが、ポップスには、あまりググッと入り込むものを感じないし、世俗的で、受け狙いでスカシテイテ、媚びているような感覚を持ってしまいまして、そこまでやるなら、ジャズのように、とことん心情を吐露して欲しいものでして。

そんなことで有りまして、キムの演技よりは、浅田真央のまだ、発揮し尽くしていないものの、エレガント、優美さを感じてしまう訳です。

ガンライ、同じ音楽でも、「歌詞のある曲」には、あまり興味が沸かず、もっぱら「歌なしの音楽」が興味の対象でありまして、ジャズとか、クラシックとかでありまして。
(ジャズ・ボーカルも大好きですが、メインに対するデザート、スイーツでありまして、別腹なんですけど)

どういう事でしょうか。

言葉とか、歌詞とか、は具体的過ぎる。
言葉によって、イメージが限定されてしまい、歌詞の世界にフォーカスされすぎて想像とか妄想の広がりを楽しめない。サウンドの自由な描写が閉ざされる------っつうか。
逆に、言葉の力で、すぐに、ピンポイントで、作者の世界に入っていける、判りやすくて、誤解の少ないものなんですけど。

メロディーとかサウンドの絵筆で描かれる、より抽象的なの世界のほうが、自由で拡がりがあり、音による心象状況の表現力があるように思うわけ、かも知れません。きっと。
でも、「好み」ですよね。「言葉か、音」かは。

という事で、「唄」は苦手でして、興味があるゴクわずかな曲の歌詞でさえ、曲名すら覚えていない。

ときたま、カラオケに行く事があっても、歌える曲は無いに等しく、また唄っても、メロディーが採れない。

そんなときのために、携帯のメモ欄に「唄ってもいい歌」をリストアップしてます。
内容は------

「カラオケ=今日まで明日から。落陽。ペニーレーンバーボン。イメージ の詩。人間なんて。結婚しようよ。旅の宿。 ええねん。圭子の夢は夜ひらく。命預けます。 飛行機雲 卒業写真こうせつ 神田川 妹よ 。  何度でもLove Love Love
未來予想図荒井由美の匂い。尾崎亜美  。河島時代遅れ。あくゆう。5番街の   時の過行くままに。
舟唄。・   、大阪で生まれた女。
遠くで汽笛を聞きながら堀内孝雄
レイ二―ブル―徳永
・スマイル=ロッド・スティアートバージョン。ホリー・コールっぽく歌いたい(昨年末より、練習中)
・あなたに逢いたくて・スイートメモリー
・見上げてごらん。」

-------など、です。60年代から70年代の曲が中心なのは、ゴメンくさい。しかも、熱めですいません。カラオケでは、絶唱、あるいは、絶叫(ゼッキョウ)系なんです。

ところが、昨日、テレビではじめて観た、フラワーカンパニーの「深夜高速」には、マイリマシタ。
歌詞と曲と画像が、ぴったり合っていて、完成度の高い楽曲ですわ。

彼らは20年もやっているのに、まったく知りませんでした。ミナサマは何処で聞くのでしょうね。
テレビだけでは、情報が偏るって事ですね。ジャズの情報も、好きでないとナカナカ入ってきませんけどね。

フラワーカンパニーの深夜高速を気に入った理由は、昭和っぽい匂いも感じたからかも知れませが。

もちろん、わたくしの携帯「カラオケリスト」に認定曲として入れときます。

はたまた、桃太郎侍、か。

いまやってる、自民党総裁選挙の、演説会をテレビで観た。

谷垣と、西村、と河野太郎。

多分、谷垣が総裁になるだろうは思うけど、河野太郎ってムチャオモロイ奴やわ。
演説会で、他の候補者をバッサバッサと切ること、切る事、思い切りが良い。ついでに森、青木、はやめろと言うし、町村は妨害してきたとか、バッサ、バッサです。

谷垣は判るとしても、西村がなんで出てきたのかようわからん。一説では、森の差し金、河野に若手の票が行かんように刺客を立てた、らしい。そうだとしたら、西村は、ポチ、腰ぎんちゃくやな。

「てめえたちゃぁ、人間じゃネエ、タタッ切ってやる〜〜」の萬屋錦ノ介の名セリフを思い起させる河野太郎の切れ方。あれは、コルトレーンのインプロビゼーションの迫力にも通じる所がある。